La Vida ~ A Story

Tuesday, October 26, 2004

アジアン・インベージョン

私は大学に入るまでは99%白人のコミュニティーに住んでいた。別に差別している訳ではないが、毎回引っ越す度に私の家族は白人のほのぼの郊外コミュニティーの中にぽっかりいるアジアン・ファミリーだった。日本人との家族づきあいはまれで、そのおかげか私と弟の英語は上達するのも速かった。
そんな環境で育ったもので、バークレーで生活をし始めてから初めてアジア系のコミュニティーに囲まれる事を知った。はっきり言ってしまうと、あまり好きではなかった。私が入った年はアジア人が50%以上入学したそうだ。カリフォルニアの中でもUCLAと競うほどだったらしい。更に、友達のアバウトな計算によると、学生30,000人のうち1%が日本人だという。300人もの日本人がキャンパスのどこかに潜んでいると思うと少し気が引けた。
今まではまれだった「日本人」というアイデンティティーが薄れてしまう気持ちがした。何より、自分は「アメリカで育った日本人」というエゴがあったので、高校の時アメリカに転校した日本人と一緒にされるのはまっぴらゴメン、という今にしてみれば何とも幼稚で自己中心的な考えがあった。

実際、キャンパスの大半は台湾系中国人とインド人がほとんどである。高校の時も同じような人口環境だったので、それほど違和感は無かった。しかし、他のアジア系の人種を大勢に見たのは初めてだった。韓国人、広東地方からの中国人(香港、中国の南方)、フィリピン人、タイ人、パキスタン人、シンガポール人、カンボジア人、ラオス人、等。しかも、それぞれの人種がクラブ活動をしているのだ。人種が多いほど様々なクラブを作り、自分たちの集まりを作る(例えば、フィリピノのヒップ・ホップ・クラブや中国人のキリスト教クラブなど)。

一番興味深かったのは、「アジア人」というアイデンティティーだった。リベラルな校風からして、バークレーはAffirmative Action(マイノリティー優遇措置)に我さきとリードを取り、Underdog(弱者)を応援する傾向がある。黒人奴隷制度の報いのために作られたアファーマティブ・アクション制度だが、このシステムは20世紀後半はアジア系やヒスパニック系の人種にも取り入れられる様になった。話はそれてしまったが、優秀なアジア系(台湾人、日本人、シンガポール人)が他のアジア系人種を助けるために過去、バークレーには「アジアン・アライアンス」が出来たそうだ。
余談だが、台湾人がアメリカにたくさんいる訳は1970年代の移民法にある。もともと移民から成り立っているアメリカであるが、19世紀後半になると、土地がだんだん開拓され、押し寄せる移民の波にはセンシティブになってきていた。黒人奴隷と中国人のクーリーが大陸横断鉄道のために大勢雇用され、その後あまりの多さに差別され虐待されていたことはアメリカのソフト・スポットである。アメリカは常に移民に関してはピリピリしていた。
しかし、20世紀後半になって新たな発見をしたのである-アメリカ国外(特にアジア)には優秀な人材がアメリカに来たがっている-という事実だった。そこでゲートを上手くコントロールして、理数系に強く、大学から出たばかりの優秀な学生たちを呼び寄せたのである。今になってはその率を忘れてしまったが、台湾人が一番多かったそうだ(高木ロバート先生の本「Strangers from a Different Shore」に詳細が記してある)。この時期、アメリカの軍隊が3大優秀大学:バークレー、スタンフォード、カル・テックと手を組みシリコン・バレーを作っていたのも偶然ではない。

今後もバークレーのアジア人の人口は増え続けるだろう。そうなったらまたUC Regents vs. Bakkeの様に、リバース・アファーマティブ・アクションも出て来るのであろう。

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